こんにちは!
フィリピン式のお誕生日スタイルが好きです、おきピン!(@okipin_)です。
・日本では周囲がお誕生日の人をお祝いする
・フィリピンではお誕生日の本人が周囲にふるまう
真逆なのだ~というのは結構有名。
最初は「え、主役が振舞うっておかしくない?」って思ってたフィリピンスタイルですが、今はフィリピンスタイルの方が好きになった。
今回はフィリピンの誕生日祝いが好きだ―!っていう話。
フィリピンの誕生日祝いが好きな理由
一言でいうと、
・日本の誕生日の祝い方は受動的(受け身。人から何かしてもらう)
・フィリピンは能動的(自発的。自分がそっせんして何かをする)
自己発信型のフィリピン式誕生日祝いは
- 私が今まで「いまいちだなぁ~」と感じていた日本の誕生日祝いの残念ポイントを解消し、
- わたしも周りも幸せいっぱいになり、
- 歳を重ねることについての考え方すらポジティブにしてくれた
私にとって目からうろこがボロボロボロー!なシステムでした。
3つのポイントを順番に紹介します。
1.日本の誕生日祝いの残念なとこ
日本の誕生日祝いの好きじゃない部分がいくつかあって、フィリピン式だとそれが解消されました。
まずは、私が好きじゃなかった「日本式☆誕生日祝い」のポイントを5つご紹介。
①期待し続けて日が暮れる
人からお祝いされる誕生日って、つまり「受け身」ですよね。
すると、周囲からのアクションがなければ、何事もなく過ぎ去る一日になるわけです。
「今日誕生日なんだけど…」って思いながらそわそわするのが嫌!
いい大人なんだからそわそわすんなよwwって話ですが、そわそわするんだもん!
その点、フィリピン式は「オレやで!」ばりに自己申告制だから、気がラク。
職場で「今日誕生日なんだ!」ってふれまわってました(笑)
②不本意な悪目立ちをする
逆に、誕生日だからって目立つようなことしないでくれ…って思ってるのに、周囲にサプライズされる…なんてことも日本式誕生日祝いでは生じる。
目立つのが嫌な人にとってもフィリピン式はいいかも。
自己申告制だから、通常通り過ぎ去ってくれと思うなら何もしなくてよい。
要するに、何事もなくても、あってもいいんだけど、なにが起こるかわからない、自分でコントロールできない感じがすごく嫌です。
(私の指針は「自分の人生は自分で切り開くもの」)
フィリピン式は、盛大にやりたかったらやれるし、なんもせんでいいっていう人はやらなくていい。それが良い。
③見返り目的で人の誕生日を祝う
「私もあなたの誕生日をこんだけ祝ったんだから、」
「私はこれだけの価値のプレゼントを用意したんだから」
「あなたも私の誕生日の時に同じようにしてくれるよね?」
という恐ろしい文化が、自発的なフィリピンの誕生日祝いでは成り立ちません。
私の誕生日の時に一緒にケーキ食べたよね。なんで自分の誕生会開かないのさ。なんて詰め寄るのはナンセンス。
時代も変わっていく中で、まったくそれが見られないとは言わないけど、基本は「やりたかったらやる」のスタンスです。
④周囲の誕生日を覚えていないといけない
正直、私は人の誕生日を覚えるのが苦手です。
だからこそ、周囲が覚えていないといけない日本の誕生日は困る…!
親密度に関わらず覚えられないので、覚えてないからそこまで友達と思ってないというわけではないんです。
でも、やっぱ忘れられたらそれなりにさびしいですよね。それもわかる。
一方のフィリピンスタイルは、自分から「今日じぶん誕生日やねーん!」って言ってくれるので助かる。
⑤お誕生日おめでとう!というタイミングがつかめない
加えて、こっちスタートで「誕生日おめでとう」って言いにくくないですか?
仲良しの友人だったり、会う前に「今日誕生日だったな」って覚えていれば言いやすいけど、
すでに今日なにか会話を交わした後に、「あ、誕生日じゃん!」って気づいたら…、おう…言い出しにくい…。
そんなときもフィリピン式は「今日誕生日やで!」と自ら申告してくれるから、おめでとうが言いやすい!(笑)
以上5つが、私が苦手な日本式の誕生日祝いのポイント。
誕生日覚えられないとか、お誕生日おめでとう言えないとか、ちょっと「それはあなた自身の問題じゃね?」って部分もいくつかありましたね~(苦笑)
お次は積極的に「フィリピン式が好きだ!」と言えるポイント。
2.私の誕生日がみんなを幸せにする
私は毎年「今日私の誕生日なんだ!!」って言って、自分で誕生日を開き、ピザとかドーナッツとかを職場のフィリピン人みんなに配り歩きます。
すると、みんなに喜んでもらえて、みんな「おめでとう」って言ってくれる。
これは日本人から見たら、なにそれウケるwwイタいwwって思うのかな?
私の誕生日って誰のための日なんでしょうね。
日本の誕生日の文化のもとでは、「その日に生まれた私が主役であり、みんなが私のために祝ってくれる日」です。
私の誕生日は私の日。
フィリピンに行くまで、私もそう思っていました。
でも、フィリピンで自分の誕生日にドーナッツ配り歩きながら、みんなに感謝されてると別の気持ちが湧いてくるんです。
自分の誕生日にこんなにたくさんの人に喜ばれるってすごいなって。
正直、「物」的な意味で得られるものはありません。むしろすっごい出費。
私の日であるはずの誕生日に、物質的なものはすごい出ていくんです笑
でも、自分の誕生日にこれだけの人に喜んでもらえる。
今日は私の誕生日だからという理由で、誰かが幸せになっているというのを目の当たりにすると、ほんと「誕生日よかったな~」って思います。
私がこの日に生まれてきたから、みんな今日幸せになった~、よかったな~って。だから
私の誕生日は、私が生まれたことが理由でみんなで幸せになる日。
日本の誕生日ではなかなか「誕生日に感謝であふれる」境地には至らない。
3.自分の誕生日にがっかりするのはもうやめよう
もう一つ。
誕生日は「また一つ歳を取ったことを認識させられる日」っていうマイナスな捉え方ありますよね。
あれも、フィリピンで異なる考えになりました。
気づいたんです。誕生日に「またひとつ歳を取った…」って落ち込む人は、よもや明日死ぬとは思ってないのでは。
明日は極端にしても、近い将来自分が死ぬとは思っていない。
もし、いつ死ぬかわからない状態で誕生日を迎えたら、自分が今日誕生日を迎えたことについて、あまり否定的な考えはしないのではないかと思いました。
25年生きてきて、26年目を迎えられた。また、今年も誕生日を迎えることができた。って思うんじゃないかなと。
またひとつ年を重ねたという事実は、ひとつ年を取って老いたということ以上に、ここまで無事に生きてこれたという大きな意味があります。
生きてこれた⇒感謝⇒感謝を伝えたい⇒主役が振舞うという風に、
フィリピン式の誕生祝いには、根底に「今日まで生きて、またひとつ歳を重ねたことへの感謝の気持ち」があるように思います。
だから、主役が率先してふるまう式のフィリピンの誕生日祝いが好き。
まとめ
ちょーっと上手く伝えられたか自信がないです。
「主役が祝われる⇔主役が振る舞う」という、日比でほぼ180度異なる文化なので、これを読んで、いきなり視点がガラッと変わるっていうのも難しいですよね。
良い人ぶってるとか、人気集めとか、それこそ「おめでとう」を強要しにいってるんじゃん?とか、やはり「主役が振舞うっていうことに違和感!」っていう人も多いかもですが、こんな文化がありました。それが好きでした。っていうお話でした。
来年、本帰国して初めての誕生日に私がどういう行動をとるか、まだ考えていないのですが、このブログで「フィリピン式でやったよー!」って報告できると面白いなと思います^^まずは就職ですね←
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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